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Thursday, January 31, 2019

観光学



2019年1月25日

>観光学

人間社会学科 3年
CHOCHANGI TUL PRASAD

観光の概念
「「楽しみ」のための旅」概念を表現する字句が、いつごろから発生し、どのように変化していったかを、「「楽しみ」のための旅」に関連する英語圏の概念がわが国に紹介されてゆく過程とあわせて概観し、その問題点を考察した。
キーワード 旅、遊覧、観光、ツーリスト、ツーリズム、travel、tour、tourist、tourism
「旅」概念と「「楽しみ」のための旅」概念
脳のエネルギー消費が大きい人類は肉食のため移動生活が常態だったが、農耕により定住を可能とした。定住社会における人の移動概念が、英語圏ではtravel、日本では「たび」、中国では「旅」を代表例として収斂していった。この移動は、兵役、納税等といった「楽しみ」とは認識しにくいものであり、漢字「旅」が輸入された時、「たび」があてられたことは容易に想像できる。またtravelの訳語が中国及び日本において「旅」があてられたことも理解し易い。
英国では富裕層が行うの旅は能動的なものとして認識されていたが、その後に一般大衆向けの受動的になった旅行を行う者が発生したとされる。この能動的なtravelを行う者(traveller)と区別して、tourを行う者をtouristとする概念が発生し、19世紀までに一般化した。
「「楽しみ」のための旅」の概念及び字句を必要とした背景には、その大衆化がある。社会経済的に「「楽しみ」のための旅」(tour)を一般の旅(travel)から分離する必要が生じ、touristを対象にする産業活動が発生したからである。
観光という言葉の語源を知ることである。語源の意味は観と光を合わせ光を観ることになる。楽しみを目的とする旅行が人間と社会への行動である。自ら好きんでいる日常生活ではない余暇活動が旅行である。ラテン語のツーリズムはトルナス巡回周送観光レクリエーションとリゾートがあってから観光が具体的に成立してきたと思う。

楽しみを目的とする旅行を余暇活動という。時間による活動で、一日中の活動のうち活動必要時間と社会活動時間を過ごした自由時間のことである。人間の行動を生物的側面と文化的側面に分け、さらにその行動を生きていくための行動・宗教や儀礼に関する行動・余暇行動の3つに分けて、それぞれどういった関係があるかを見ている。そこでは、余暇行動における文化的側面と宗教・儀礼行動における文化的側面の重なり合い、余暇行動における生物的側面と生きていくための行動における生物的側面の重なり合いが見られるとしている。そして、筆者が調査を行ってきたトンガや、先行研究のあるエスキモーやアイヌでどのように余暇行動が位置づけられているかを論じている。
留まることが知らないテクノロジーの進化、その中注目されて来たのが大量のデータを共にコンピューター自らが判断するAI 人口知能です。AI 巡っては平成29年人口知能技術戦略を取りまとめなど新たな産業を柱など道をつけた。AIは医療の現場にも入り込んでいる。画像診断ではすでに人間の能力を超える分野もできてしまった。一方で便利さとコンビ生の裏腹に人の重要生がなくなる懸念もなって来た。成長産業として案内されているAI、人口知能AIなどの導入で自動化、合理化を進めて行きメガバンクは2026年度までに3万人分の自員と業務量削減する計画を発表している。
技術によって変わりよく社会生命の歴史特にここ10年ぐらいの近い所ですごく世界の中変わってることが感じる。早ければいい、手間がかからない方がいいという価値観になってしまって、情報が沢山流れる。それに早く反応し、それで動いてる。さらに技術革新が人間そのものを変えつつある余暇社会は現代化に進化し脱産業社会の問題点も増え不安もある。


観光行動対象自然と文化
名所風景、温泉資源の誕生とその保護自然景観の遊覧、保護のはじまり、8世紀のころ「歌枕」の地として古代を代表する観光地であるが、中でも和歌浦(和歌山県)観光地であったそうです。
遊楽とい う、「遊覧」の原型用語を残しているが、この 景観はさらにさかのぼり和歌山県へ行幸され、この和歌浦の風光明媚な 景観を絶賛し、この景観を保存するため「守戸」 という専任の番人を設置した。「守戸」は現 在の自然公園指導員、自然保護監視員などレン ジャーの資源であり、
吉野熊野国立公園にある世界遺産の吉野山は 桜の名所である。この桜の木を植えたのは、役 行者のち吉野山のご神木とな り、修験道がの盛行するにつれて金峯山寺への 参拝も盛んになり、ご神木の「献木」という行 為となって植え続けられてきた。当時の桜のほ とんどは山桜であるが、その「花」見は物見遊 山の代表的な行動で『万葉集』にも 首の桜 の歌がある。平安時代、吉野山はすでに桜の名 所で、さらに多くの歌が詠まれ、京都御所や嵐 山など、各地に移植され観桜の宴が催された。 現在の吉野の桜は、下千本、中千本、上千本、 奥千本などといわれ、約 200 種、3 万本の桜が 咲き、日本の代表的な自然公園の「花」の名 所となっている。「温泉」資源の保護と活用
温泉は古来、祈祷と並んで自然がもたらす医
療方法で、現在では重要な観光資源である。
文化的観光の旅が流行、各地の自然への関心も高まっていき自然資源の観光学的活用するようになってる。これらの景近代の地理学者によると日本風景、歴史的観光文化行動がもっと上がって行くでわないかと思う。

観光行動の対象
ー暮らしと交流

観光資源の考え方については前述の紀要て述べ、本講では自然観光資源、および文化
観光資源て取り上げた文化的景観など文化と自
然の複合的要素のある資源にも論述する。
「観光資源」という用語が規定されたのは、 1963年の「観光基本法」にある「文化 財、すぐれた自然の風景地、温泉その他産業テクノロジーの進化に楽しめることでもある。
国際的な観光交流時代を迎えて、2020年には東京オリンピック開催されますが、国家の目標も 2,000 万人から 2,500 万人とし ている。この状況を生み出した背景には、日本の観光立国としての積極的な外客誘致政策の 展開があり、一方では訪日観光客の買い物ツア ー、爆買いが国際観光収支にも大きく影響して、 1959 年以来 55 年ぶりの黒字転換(2014 年度) となった。筆者が観光行動の三要素として取り 上げている「みる」「たべる」「かう」の「か う」の部分が大変な脚光を浴びている。
本来観光交流の第一義は「みる」、すなわち観光であり、世界遺産登録地の最大保有国
であるイタリアや中国においてもこれらの観光資源の活用か観光客誘客の中心となっている。筆者は、研究紀要においてわが国 の文化観光資源に関わる保護制度と活用の課題だが、もう一方の観光資源である自然観光資源の保護・保全の資源の無駄がないように考えるべきでもある。文化等に関する観光資源で、そのなかで自然に関わる観光対象を自然観光資源という。具体的には、山岳、高原、湖沼、渓谷、海岸、 島、温泉、動植物鉱物などをいい、本論では国 立公園などの自然公園や世界自然遺産、天然記 念物、さらに四季折々の変化に富んだ自然の景 観などを中心に取り上げることにしてる。
自然観光資源の「保護」と「保全」日本の自然公園の制度は、すぐれた自然の
風景地を保護することが最大の目的となっている。すなわち区域を定めた特別地域および特別保護地区を指定し、これらの区域内における風致景観を損する一定の行為を制限している。このような自然公園区域の利用と同様に、わが国の自然観光資源の利用のなかでも人気の高い温泉資源についてもその保護を重視している。これらは「自然公園法」や「温泉法」における指定そのものが保護の前提となっているのである。自然観光資源として有効な利用が促進されることは、国や地域にも活力を与えるが、また一方で観光開発の名のもとに自然資源の破壊や植生の生育阻害などの問題も発生してくる。その際、頻繁に自然保護や、環境保全の用語 が登場するが、「保護」や「保全」の用語は個々 に説明を要する。本論においては自然資源の利 用における、資源の保護 は、 自然の資源を自然のまま手を加えずに保存し観 光活用を図ること、保全 は、 自然資源に多少の手を加えて破壊や消滅から護 りながら観光活用を図ること、という認識の基 にすすめることも大事である。


観光の諸制度
観光立国の意義

観光は、人々にとって生きがいや安らぎを生み出し、生活のゆとりと潤いに寄与するものであるが、それだけにとどまらず、様々な側面から見ても非常に重要な意義を有している。
まず、経済的側面として、観光産業は、旅行業、宿泊業、飲食産業、アミューズメント産業、土産品産業等の裾野の広い産業であり、平成14年の国民経済に対する効果をみると、観光に係る直接消費は21.3兆円、さらに波及効果を含めると49.4兆円、雇用効果は398万人と推計している。また、日本国のGDPや雇用に占める比率でみると、化学産業や一般機械産業と同等の割合を占めている。また、地域にとっては、交流人口を増加させるとともに、産業や雇用の創出等を通じて地域の再生・活性化に大きく寄与するものである。
さらに、国際観光は、世界的に文化交流の役割が高まる中、国民の国際性を高め、国際相互理解の増進を通じて、国際親善、ひいては国際平和に貢献するものである。
イギリスや韓国等でも、文化を諸外国に発信する手段の一つとして観光を活用しているところである。発地における観光者の心理を欲求、動機、費用、時間、情報によって自己実現のイメージにレベルアップしなければならない




観光の効果と影響

様々都市や地域に観光者が訪れるによってその待ちの人と人との協力し合い、交通目標対象、ルール作るし方法、ビジョンづくり、供有予算計画が大事である。東京都産業連関表を見ると、産業集積規模の大きさや営業を伴なわない本社機能や 研究機能が集積していることから、一般的な産業連関表とその形態が異なって います。このため、一般的な産業連関表に整理する必要がなってる。
次に、観光消費は、宿泊代や飲食代、入場料等の費用に分けられますが、東 京都産業連関表では、これらが全てサービス業という分類でまとめられている ため、港区の経済効果を求める観光消費の分類に再構成する。さらに、東京 都全体の産業に占める港区の産業の割合を求め、東京都全体の効果に乗じて、 港区内産業への経済効果を算出している。消費場所や 観光目的での訪問率など、実態に促した分析も必要だと思う。


観光と経済

観光消費が地域産業にもたらす効果であり、直接的には地域の小売・飲食業やサービス業等の売り上げる。経済効果は、こうした最終需要だけでなく、卸売りや流通、保険など事業者間の取引にも波及効果 を与えていく。観光消費に伴う直接的な効果(観光消費による最終 需要)と事業者間取引きに波及する効果を合わせて、経済効果として捉えて行き一般的に産業連関表を使った分析・推計手法が用いられ、産業連関表は、地域の様々な産業が商品や原材料をどのように売り買いし ているかを分析するもので、観光消費が地域の産業に与えている影響がわかるもの生産誘発の価値効果や間接、原村料波効果、家計迂回などに観光統計と経済統計効果が出る。



観光と情報
平成 18 年に「観光立国推進基本法」が成立し、観光政策は国の重要な政策の柱として位置 づけられた。また、その理念として、地域における創意工夫を活かした主体的な取組に よる「住んでよし、訪れてよしの国づくり」が重要であること、国民の観光旅行の促進が図 られなければならないこと、国際的な視点に立たなければならないこと、行政・住民・事業 者らの相互連携の確保が必要であること等が示されている。国土交通省では観光立国の実現に向けて平成 19 年 6 月に「観光立 国推進基本計画」を策定し、国際競争力の高い魅力ある観光地の形成、観光産業の国際競争 力の強化及び観光の振興に寄与する人材の育成、国際観光の振興、観光旅行の促進のための 環境の整備等について具体的な目標を掲げ、様々な施策に取り組んでいる。
特に「観光旅行促進のための環境の整備」については、日本人、外国人を問わず訪問先の 地理に不案内な観光客が安心して一人歩きできる環境を整えること、訪れた観光客が様々な 手段で観光情報を取得し、訪れた地域独自の魅力に触れることができる環境を整備すること が求められている。。
しかし現状においては、都市、農山漁村、自然地域等といった観光地としての特色や地域 の立地等の諸条件によって、訪れる観光客層、移動手段、必要とする情報等が異なること、 さらに観光客に観光情報を提供するための手段や情報提供主体が多岐にわたること等によっ て、効果的な観光情報提供の取り組みが進みにくい点が課題となっているが、平成 18 年度、平成 19 年度に「まちめぐりナビプロジェクト」として全国 56 地域による実証実験に 取り組んでることがわかった


観光と環境
観光の大衆化や受身的な観光行動 から能動的な活動を反映して多様なものとな り、また関係する主体も企業のみならず個人 の関与も軽視できない状況にある。それゆえ、 環境問題を単に企業の外部不経済性問題 として扱いそれを内部化する経済的手法 で対応することは不十分となる。この環境問 題の特性に応じた対応には、経済以外の手法 を含め複合的な対応が必要となる。そのため 観光と関わりの深い環境特性をより時間軸、空間軸および社会軸と関 連づけ、それに応じた対応の方向性を考えないといけない。環境問題は、影響として現れるまでに時間 がかかり、この時間軸から自動車の排気ガ スのように有る水準を越えたときに生じるもの光スモッグのように化学的、物理的、生物的反応により被害が生じるもの、また、土壌汚染のように分解しにくい汚染物質が環 境中に蓄積するもの、に大別される。また、環 境問題はその発生原因となる場所とその影響 をうける主体との場所に距離(空間軸)があ り、原因と結果の場所がア)同じ自治体にあ る「生活圏問題」、同じ国内にある、国内 問題が国を超える「国家間問題」に区分 される。さらに、環境問題はそれを発生させ た主体の形態(社会軸)にも由来することか ら、企業や個人の特定の行為を原因とする。特定行為問題が社会全般のほぼ共通した 特定の行為を原因とする。特定様式の問題、例えば、多くの観光者がマイカー利用するこ とに起因する交通渋滞,駐車場問題等)および 地球温暖化などその原因を特定の行為 に限定することが困難な普遍的問題に区 分される。地域に観光者が訪れるようになると良い影響があれば悪い影響も沢山出て来るので事前に準備しておくことがとても大事である。



観光と地域社会

観光と地域文化の関係については実際の地域と個人といったローカルな現実に関連させな がら検討することである。ディスカバージャパンなど,主に都市部から発せられる観光のまなざしが顕著 になった 1970年代において,観光は地方の地域文化の創出に際して、どのような作用を及ぼしたのか。この問いに答えるためには,地域文化が創出される段階から,担い手の意識や地域の社会文化的現実を詳細 に検討することにより,観光と地域文化の関係を具体的に抽出する作業が必要とされる。このことについて 本稿では,1974年に高野山で創出された「ろうそく祭り」を事例として取り上げ,観光の枠組みといった 大きな社会的背景を頭に留めつつも,地域の社会・文化的現実に注目し,祭りの創出と現在の様相における 観光の影響を詳細に検討した。その結果,地域文化の創出に際して観光という要素は,担い手自身の手によっ て,自己が所属する地域の社会的現実に沿った形に再翻訳され,逆利用されていることが明らかとなった。 また現在の様相については,進展する観光化によって多少なりとも祭りの内容が変容してはいるものの,観 光化によって認知度が高まり,より一般性を獲得することによって,逆説的に,離町者の同郷意識が喚起さ れていることがわかった。つまり,観光と地域文化の関係は,観光が一定の社会的背景として存在している なかで創出された地域文化でさえ,より大きなシステムとしての観光の枠組みに埋没していると単純にいえ るものではなく,トランスローカルな枠組みとして語られる観光が,よりローカル性を強化する可能性をそ なえていることがわかった。
このような地域活性化につながる政策を実行し、地域に住んでいる市民が住みやすい街作らなければならない。地域の子供たちの教育、働く場所、遊ぶ場所、楽しめる場所、安全で生活できる場所、国際交流会が開催される場所などがすでに地域完成しなければならない。ぞこから、人間の欲求によって新たなイノベーションや政策も必要となって


観光地の開発と保護
観光は様々な定義づけがなされているが,基本的にレジャーやレクリエーション目的で旅行する人々の,旅行と一時的滞在に起因する関係及び現象と考えられている。どの程度旅行の別形態(例
えば,ビジネス,健康や教育目的など)を観光に
含めるべきかは,研究者によって異なるものの,
観光は広範なレジャー領域の一端を構成するとの
認識が次第に強まってきている。地理学的な意味
では観光と他のレジャー活動(例えば,テレビを
みるといった在宅活動や,映画館に行ったり,公
園を散歩したりする都市内部での活動)との基本
的相違は旅行要素の有無である。最小旅行距離を
基準とする研究者もいるが,一般的に観光は少な
くとも居住地や出発地から一泊以上離れることを
要件とする。出発地から目的地へのツーリスト移
動に起因する空間的相互作用は,観光に固有の明
示的特徴であり,その主題は地理学的分析に十分
役立つものである。旅行特性と滞在特性もまた,幅広いモノとサービスに対する需要とその提供によって特徴づけら れる。観光地という意味において,これらは五つ に大分類できる。すなわち,アトラクション,交 通,宿泊施設,支援施設とインフラである。アトラクションはツーリストが特定の場所を訪れるよ うに支援し,交通サービスはツーリストに訪問を 可能にさせ,宿泊施設と支援施設(例えば,店舗, 銀行,レストラン)はツーリストがそこにいる間 彼らが快適に過ごせるようサービスを提供し,イ ンフラはこれらすべての基本機能を底辺で支える。 このようなサービスの多くは,目的地,出発地, あるいは,その双方と結びつきをもつツアー・オ ペレーターによって結合・提供されるが,ツ アーオペレーターは交通や宿泊施設,さらに, 見物やレクリエーション活動なども含む,パッ ケージ・ツアーを旅行者に提供する。このような パッケージ旅行商品と(あるいは)個人旅行商品 の販売は,出発地や需要地に位置する旅行代理店 を通じて行われる場合が多い。なので、観光対象、観光資源と観光者のサイクルにイノベーションが重要となる。


観光の日本歴史
日本の国際観光政策は従来、外貨獲得と国際間相互理解を二大目標として 外国人観光客誘致、受け入れインバウンド政策に重点がおかれてきた。し かし日本は高度経済成長を成し遂げ、国際収支も黒字基調になったことで外貨 獲得は至上の目標ではなくなり、日本製品の輸出拡大による経済貿易面の不均 衡問題の解消や、諸外国との国際間相互理解の増進、観光交流の拡大に重点が 移っていった。その潮流の中で、日本人観光客の海外旅行を促進するさまざまな政策 3 が進 められてきた。結果旅行者数は 1997 年には史上最高の 1680 万人、2000 年に は過去最高の 1700 万人を記録した。しかし 2001 年以降はアメリカ同時多発テ ロやインドネシア・バリ島での爆弾テロ、SARS(重症急性呼吸器症候群)と マイナス要因が続き落ち込みも見られた。それでも 2004 年には 1683 万人とな り依然高い水準で推移している。(図-1)
今後も日本人海外旅行者数は順調に伸びていくと予測される中で JATA(日 本旅行業協会)の新町光示会長は新たな時代のテンミリオン計画として 20 ミ リオン計画を打ち出している。2007 年までに日本人海外旅行者数を 2000 万人 にするというもので国土交通省など行政との連携で推進していくことを明言し ている。そのためには 2001 年から続いた世界的惨事の影響で下降気味であっ た海外旅行者数の回復にかかっており、過去最高数を記録した 2000 年レベル に早期に近づけることが求められている。その結果、20 ミリオン計画も現実味 を帯びてくると言える。交通史学者の新城常三は、庶民の旅の歴史を「内部強の旅交易ためなどの生きるための旅外部39カによる使役のための旅でした。そして、自ら好んでする旅の段階に分けてとらえている庶民と旅の歴史 があったからこの日本観光は古代の機械になり現代に進化と成長してると思う。


観光の世界歴史
近年、中国からのインバウンド数が急激に増えている。2000 年では 35.1 万 人であった訪日中国人数が、2004 年では 61.6 万人と急激に増え続けている(9)。 特に、観光客という枠で限定すると、2000 年は 4.5 万人であるが、2004 年で は 18.9 万人と四年間で 4 倍以上増えている 11 。そして、その時期は中国の高 度経済成長期にあたる。また、日本が 2000 年 1 月に中国国家旅遊局(CNTA) の渡航先国に承認され 12 、9 月から団体観光旅行者へのビザが発給されたこと もあり、訪日中国人数の増加を後押ししている。
さらに、図-2 を見るとわかるように、訪日旅行者数(インバウンド数)は、 韓国、台湾、中国、香港のアジア 4 ヶ国と、アメリカを入れた 5 ヶ国で全体の 約7割を占めていることがわかる。しかし、その 5 ヶ国の中で図の伸率の推移 から考えると、韓国、台湾、米国、香港が低迷している中、中国の伸びだけが 著しい。2003 年は SARS の影響で各国落ち込んだものの、翌年 2004 年には伸 率 97.6%と中国だけが桁外れな伸率を見せたのである。つまり、訪日外国人旅 行者数を 613 万人と過去最高にし、成功しているようにみえるビジット・ジャ パン・キャンペーンであるが、実際は中国の急速な経済成長と中国における日 本の団体観光旅行解禁が要因と言える。
近代観光史はイギリス人トーマスクークにより、現在のトーマスクークグループイギリスのJTBでもある。

「富士山世界遺産に関するアンケート調査」結果



「富士山世界遺産に関するアンケート調査」結果

1、実施主体 静岡英和学院大学 人間社会学部 人間社会学科 毛利ゼミ 
(担当:チョチャンギ、タオ、トウ、ワン)
2、実施目的 日本の誇りであり、日本人の心のふるさとである富士山が世
界文化遺産に登録されてから5年半がたった。学生がそのこ
とを知っているかの状況について把握して富士山に関するご
意見、お考えなどをお聞きし、これからの富士山学習の基礎
資料とする。

3、実施対象 静岡英和学院大学の学生
1年生 57名
2年生 57名
3年生 66名
4年生 25名
4、実施時間 2018年12月中旬 
問1 富士山はどんなところと思いますか? 当てはまるイメージに○つけてください。 
<調査結果>
富士山のことをどう思っているかについては、「とても良い」31%、「高い山」73%、「日本のシンボル」96%、「美しい」66%、「ごみ」8%、「壮厳(神々しい)」29%、は「その他」8%となっております。
古くから日本人の心を引き付け、夏には登山客でにぎわう富士は、美しい自然景色により、人の心を打ち、古くにから信仰の対象となるとともに、芸術の源泉になってきました。また、国際記念物遺跡会議(イコモス)富士山は日本のシンボルになりました。
問2 富士山に登ったことがありますか?

<調査結果>
富士山に登ったことがあるかについては、「ある」18%、「ない」82%となっております。
「ない」場合の<調査結果>

富士山に登ったことがない場合、富士山に登りたいですかについては、「ぜひ登りたい」21%、「機会があれば登りたい」55%、「登りたくない」14%、「どちらとも言えない」9%、「わからない」1%と回答しました。
問3 富士山が世界文化遺産に登録されたことは知っていましたか?
<調査結果>
富士山が世界文化遺産に登録されたことは知っていましたかについては、 「知っていた」11%、 「知らない」89%と回答しておりました。
6月22日、富士山を世界遺産への登録可否を決める国連教育科学文化機関 (ユネスコ)の世界遺産委員会は、富士山を世界文化遺産に登録することを決定しました。名称は「富士山一信仰の対象と芸術の源泉」で、国内で17件目の世界遺産となった。富士山が世界遺産へ仲間入りしたというニュースが、新聞やテレビなどのメディアで大々的に報道された。「富士山が世界文化遺産に登録されたことは知っていた」という学生は、報道によるところが大きいと思われます。
問題4 富士山世界遺産センター(富士宮市)を見学したいと思いますか?
<調査結果>
富士山世界遺産センター(富士宮市)を見学したいと思いますかについては、ぜひ行きたい(14%)、機会があれば行きたい(48%)、あまり行きたくない(11%)、行きたくない(12%)、わからない(15%)。

アンケートの結果より、行きたい人の割合は半分以上を占めているけれど、行きたくない人の割合もかなり高いです。 静岡県富士山世界遺産センターは、2013(平成25)年6月にユネスコの世界文化遺産に登録された「富士山─信仰の対象と芸術の源泉」を後世に守り伝えていくための拠点施設です。当センターでは、「永く守る」「楽しく伝える」「広く交わる」「深く究める」の4つの柱を事業として、国内外の多くの方に歴史、文化、自然など、富士山を多角的に紹介します。あなたが富士山のことに対しる愛なら、あなたがこの場所を無視してはいけないと思います。
問題5観光で静岡を訪れた人に、富士山について説明することは出来ますか?

<調査結果>
観光で静岡を訪れた人に、富士山について説明することは出来ますかについては、できる(31%)、少しできる(85%)、あまり出来ない(53%)、出来ない(26%)。
アンケートの結果より、富士山について説明することはできる率とできない率の割合が大した違いはない。これは大変なことと思います。「富士山」は、風光明媚な自然環境の中で豊富な観光資源に恵まれ、国内外から 多くの観光客を迎えている地域である。さらに、富士山は日本の象徴することです。だから、富士山について説明する人はもっと高く割合が欲しいと思います。
問題6 富士山について、どんなことを学んで見たい思いますか


<調査結果>
富士山について、どんなことを学んで見たい思いますかについては、保護者は「富士山の自然・環境」(78%)が最も多く、次いで「富士山の歴史」 (57%)、「富士山の文化的な側面」(49%)と続いている。世界文化遺産について(45%)、特に学びたくない(21%)、その他(2%)。
アンケートの結果より、みなさんは大体富士山について歴史や自然環境や富士山の文化的などを学びたいです。富士山は古来から多くの人々に親しまれ、愛されてきた日本のシンボルであり、日本の文 化や芸術の源泉ともなる日本人にとってなくてはならない存在となっております。だから、日本人ではなく外国も富士山のことについていろいろなことを学びたいと思います。

富士山が世界文化遺産に登録されたことで、どんなことが心配されますか?

観光客が増えるため、富士山の自然環境が悪化する 122人
観光客が増え、交通渋滞など日常生活に支障がでる 51人
周辺地域の開発規制などが強化される 34人
わからない 21 人
の他 1 登山その安全性 人 

ハザードマップ(富士山火山防災マップ)を知っていましたか?
知っている 49
名前を聞いたことがある 72
知らなかった 74
ハザードマップ(富士山火山防災マップ)を知っていましたか?
知っている 49
名前を聞いたことがある 72
知らなかった 74


 富士山は、当地の気候による、一年中ははっきり見えない日は多い。見える場合「lucky」と言われ、富士市の町で歩いたり、タクシーを乗ったりとか、隅々の所で富士市を見える。また、地元の居民は、窓を開いたら、富士山の景色は、すぐに目に入る。幸せと思わない。
 富士山は素敵な山なので、多くの人に知ってもらいたいという思いと、ごみがないきれいな状態の山でいて欲しいと思う。
 日本の世界文化遺産
 キレイ
 観光客のゴミのポイ捨ての対策さ強化して欲しい。
 富士山がまた噴火かもしれないけれど、噴火すると崩れてしまう可能性があるので、世界文化遺産に登録されたことを影響がある。
 富士山に登ったことがないが、5合目まで車で行ったことがあって、機会があればぜひ一度登りたいと思う。
 静岡県民なので普段から富士山が見える環境の中にいるけれど、観光客の方などが富士山を見て大きさに感動していたり、写真を撮ったりしているのを見ると、やはり富士山は日本のシンボルなのかなあと思う。
 生まれた時からずっと見てきたから、とても身に近に感じる
 ここ数年は富士山の雪が減っている気がする。アパートから見えるため毎日見ているが小さいころ地元から見える富士山はもっと雪があったし、こっちで一人暮らしするようになってからも明らかに減っている気がする。
 日本平テラスから富士山がきれいに見えた。
 富士山の高さは3776mだ。
 富士山は遠くで見ることしかできないので機会があれば間近で見てみたいと思っている。
 入山料の徴収を強制にするべきだと思う。
 登山する時にゴミを捨てる登山者がいる。
 世界遺産に登録され、注目を浴びるが、マナーの悪い人はゴミを捨てたりとメリットもある面でメリットもある。
 汚い、ゴミ
 噴火しないか心配。
 きれいな富士山が見れた日は心が穏やかになる。あのきれいな富士山が変わることなくいてほしいなと思う。
 生活する中で見えるもので、季節や天気を感じるものになっている気がする。
 世界遺産に登録されたことで、登山者は増える。それはとても良い事だが、一時的な効果にならないように何か対策が必要になるのだと思う。
 富士山は綺麗なままであってほしいと思う。観光客が増えると、どうしてもゴミなどが増えてしまうので。
 家から北側、真正面に生まれた時から富士山が身近にあるので、他の県の人、観光で訪れる人が富士山にどのようなイメージを持っているがきになる。よく写真を撮っている人は、駅などで見かける。

独特な活動わわわ 2018年


「協力はずっと実を結べる。優しい時に恥じない事」
昨年の国際バスツアーで情報得て参加したわわわイベント楽しくて自分でもやってみようと思い今回は実行委員をやしました。日本へ来日して以来様々な学校や地域で国際交流会に参加し、授業やイベントを開催していますが、やはり受身のものよりも自分で体験する事、自分の目で見、肌で感じることの大切さを初日に心で感じたきっかけでわわわ参加し今回はなんと実行委員の重要な責任もやりとけました。イベント準備対象としては4月から毎月静岡県の色んな大学や市民ホールで会議を行いました。会議は全てを役割分担し、毎回別のスタッフが司会者、記事力、アドバイザー、写真係の役割で会議終了後に必ず報告書を出した。本番に向かっては、受付係、トークリーダー係、レクリエーション係と写真係のチームワークで活動を進んで行きました。今回受付係を担当した私は、チラシを作成、宣伝、情報発信、富士山少年自然の家現場予約などのことにやり取り、参加者やアドバイザーの先生とやり取り、スケジュール作成、グループ仕分け産業、アンケート作成、全体確認とリハーサル、本番安全性確認者、アンケート集計、報告書を作成、最後に反省会し、参加者の皆さんに報告書送りしました。
静岡県の14カ大学で学んでる日本学生と留学生のコラボレーションイベントわわわ2018、今年17回目で今回のメインテーマは友だちマップでした。
旺盛な知的好奇心で行動し、これまで培った知識とこれから習得していく経験を合わせ、今後の学習や社会活動にも、もっと力を入れて行行くです。 毎日が新しい発見や出会い、一日一日自分自身の成長を感じなからの生活はとても充実していて本当に人生の財産になる時間を過ごすことかできました。言葉も日本人のこと、文化も何も知らない状態で始まった留学も、今は、静岡は私の第二の故郷のような地域なっています。
4月から本番まで約ー年間一緒に活動してくれた実行委員の皆さん、先生方、アドバイザーの方々、少年自然の家方々そして、特に奥から参加された方々心から感謝します。これからも友だちマップ広げていけたら幸いです。
平成の終わりにエンドレスビジョンの一歩が始まる世界を変えるイベントでありあまるエネルギー将来に強く結びつく活動になりました。

Sunday, January 27, 2019

観光の世界歴史


観光の世界歴史
近年、中国からのインバウンド数が急激に増えている。2000 年では 35.1 万 人であった訪日中国人数が、2004 年では 61.6 万人と急激に増え続けている(9)。 特に、観光客という枠で限定すると、2000 年は 4.5 万人であるが、2004 年で は 18.9 万人と四年間で 4 倍以上増えている 11 。そして、その時期は中国の高 度経済成長期にあたる。また、日本が 2000 年 1 月に中国国家旅遊局(CNTA) の渡航先国に承認され 12 、9 月から団体観光旅行者へのビザが発給されたこと もあり、訪日中国人数の増加を後押ししている。
さらに、図-2 を見るとわかるように、訪日旅行者数(インバウンド数)は、 韓国、台湾、中国、香港のアジア 4 ヶ国と、アメリカを入れた 5 ヶ国で全体の 約7割を占めていることがわかる。しかし、その 5 ヶ国の中で図の伸率の推移 から考えると、韓国、台湾、米国、香港が低迷している中、中国の伸びだけが 著しい。2003 年は SARS の影響で各国落ち込んだものの、翌年 2004 年には伸 率 97.6%と中国だけが桁外れな伸率を見せたのである。つまり、訪日外国人旅 行者数を 613 万人と過去最高にし、成功しているようにみえるビジット・ジャ パン・キャンペーンであるが、実際は中国の急速な経済成長と中国における日 本の団体観光旅行解禁が要因と言える。
近代観光史はイギリス人トーマスクークにより、現在のトーマスクークグループイギリスのJTBでもある。

観光の概念 TOURISM

観光の概念

「「楽しみ」のための旅」概念を表現する字句が、いつごろから発生し、どのように変化していったかを、「「楽しみ」のための旅」に関連する英語圏の概念がわが国に紹介されてゆく過程とあわせて概観し、その問題点を考察した。

キーワード 旅、遊覧、観光、ツーリスト、ツーリズム、travel、tour、tourist、tourism

「旅」概念と「「楽しみ」のための旅」概念

脳のエネルギー消費が大きい人類は肉食のため移動生活が常態だったが、農耕により定住を可能とした。定住社会における人の移動概念が、英語圏ではtravel、日本では「たび」、中国では「旅」を代表例として収斂していった。この移動は、兵役、納税等といった「楽しみ」とは認識しにくいものであり、漢字「旅」が輸入された時、「たび」があてられたことは容易に想像できる。またtravelの訳語が中国及び日本において「旅」があてられたことも理解し易い。

 英国では富裕層が行うの旅は能動的なものとして認識されていたが、その後に一般大衆向けの受動的になった旅行を行う者が発生したとされる。この能動的なtravelを行う者(traveller)と区別して、tourを行う者をtouristとする概念が発生し、19世紀までに一般化した。

 「「楽しみ」のための旅」の概念及び字句を必要とした背景には、その大衆化がある。社会経済的に「「楽しみ」のための旅」(tour)を一般の旅(travel)から分離する必要が生じ、touristを対象にする産業活動が発生したからである。

観光という言葉の語源を知ることである。語源の意味は観と光を合わせ光を観ることになる。楽しみを目的とする旅行が人間と社会への行動である。自ら好きんでいる日常生活ではない余暇活動が旅行である。ラテン語のツーリズムはトルナス巡回周送観光レクリエーションとリゾートがあってから観光が具体的に成立してきたと思う。


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Friday, January 25, 2019

わわわ2018年バンザイ

「協力はずっと実を結べる。優しい時に恥じない事」

ナマステ!今回受付係を担当した実行委員のチョチャンギです。日本へ来日して以来様々な学校や地域で国際交流会に参加し、授業やイベントを開催していますが、やはり受身のものよりも自分で体験する事、自分の目で見、肌で感じることの大切さを初日に心で感じたきっかけでわわわ参加し今回はなんと実行委員の重要な責任もやりとけました。旺盛な知的好奇心で行動し、これまで培った知識とこれから習得していく経験を合わせ、今後の学習や社会活動にも、もっと力を入れて行く予定です。
  毎日が新しい発見や出会い、一日一日自分自身の成長を感じなからの生活はとても充実していて本当に人生の財産になる時間を過ごすことかできました。言葉も日本人のこと、文化も何も知らない状態で始まった留学も、今は、静岡は私の第二の故郷のような地域なっている。

【バンザイわわわ 静岡】


【#アース(明日)#カレッジ2018)【7月14/15】


【#アース(明日)#カレッジ2018)714/15
  「アース(明日)カレッジ」。誰もがセイト。」をコンセプトに、みんなで、地球のこと、みんなの未来のことを考えます。
ふじのくに留学生親善大使がアースカレッジに参加7月15日(日)午前1030分より、静岡市葵区東草深のアイセル21(葵生涯学習センター)で行われたアースカレッジ2018に、「ふじのくに留学生親善大使とおしゃべりしませんか」という企画があり、留学生親善大使として参加しました。 
今回は、母国ネパールの歴史、文化、楽器、世界遺産や日本ネパールの関係などの紹介や文化を体験し、子供から社会人地域の方々そして、高校生などの来場者と、短い時間ですが交流し、自国の文化等に理解や興味を持ってもらうことができたのではないかと思います。
また、来場した日本人にとっては、外国人留学生と直接話すことができたことは、とても新鮮な体験だったのではないかと思います。
時に留学に反対すれば良かったという親の会えないからの言葉こんな活動の姿を素直に受け止めて勉強も元気で頑張ってと言うこと嬉しいです。
「誰もがセンセイ、誰もがセイト」をコンセプトの大きなイベントにセンセイの立場である自分自信が正直なかったが、上手く指導してくださったセンセイや先輩に感謝します。静岡地域の魅力的なまちの「センセイ」この新しい体験や気づき、学んだ経験を将来の自分に役に立つと思います。そして、今出会った子供達「セイト」が将来の全ての責任者なので多様な交流や豊かな発想を作る学びの輪を広げていくことがとても大切な事だと思います。人前で何かをする事は苦手だったので、留学生親善大使を任命され、静岡県の大きなイベント明日かレンジは私にとっては大きなチャレンジでした。なぜかと言うと交流会は簡単に見えますが、別の社会、文化、言語などを教える、伝えること、そして受ける側も理解できる、納得する事は非常に難しいことでわないかと思いますが、自国のことを他国の皆さんに理解してもらうためには行動を起こさないと何も始まりませんので、アースカレンジこ言う素敵な場で交流して自分のことを少しでも発信でしたことをここから感謝します。ありがとうございました。

WHY ARE LITTLE KIDS IN JAPAN SO INDEPENDENT?

WHY ARE LITTLE KIDS IN JAPAN SO INDEPENDENT?
May 13, 2018 | Japanese Culture | No Comments
It’s a typical sight on Japanese mass travel: youngsters troop through prepare autos, separately or in little gatherings, searching for seats.
They wear knee socks, cleaned patent cowhide shoes, and plaid jumpers, with wide-overflowed caps secured under the jaw and prepare passes stuck to their knapsacks. The children are as youthful as six or seven, on their approach to and from school, and there is nary a gatekeeper in locate.
Guardians in Japan routinely send their children out into the world at an exceptionally youthful age. A well known network show called Hajimete no Otsukai, or My First Errand, highlights kids as youthful as a few being conveyed to complete an undertaking for their family. As they probably advance toward the greengrocer or bread kitchen, their advance is covertly shot by a camera group. The show has been running for over 25 years.
In this English-subtitled section from My First Errand, a sibling and sister take off to purchase perishables out of the blue, not without a couple of tears.
Kaito, a 12-year-old in Tokyo, has been riding the prepare independent from anyone else between the homes of his folks, who share his guardianship, since he was nine. “At first I was somewhat stressed,” he concedes, “regardless of whether I could ride the prepare alone. Be that as it may, just somewhat stressed.”
Presently, he says, it’s simple. His folks were worried at to begin with, as well, however they proceeded in light of the fact that they felt he was mature enough, and heaps of different children were doing it securely.
Japan has a low wrongdoing rate, which is most likely a key reason guardians feel sure about sending their children out alone. Be that as it may, little scaled urban spaces and a culture of strolling and travel utilize likewise encourage security and, maybe similarly as critical, the impression of wellbeing.
“Open space is scaled so much better—old, human-sized spaces that additionally control stream and speed,” Dixon notes. In Japanese urban areas, individuals are familiar with strolling all over the place, and open transportation trumps auto culture; in Tokyo, half of all outings are made on rail or transport, and a quarter by walking. Drivers are accustomed to sharing the street and respecting people on foot and cyclists.
Kaito’s stepmother says she wouldn’t let a 9-year-old ride the metro alone in London or New York—just in Tokyo. This isn’t to imply that the Tokyo metro is sans hazard. The relentless issue of ladies and young ladies being grabbed, for instance, prompted the presentation of ladies just autos on select lines beginning in 2000. In any case, numerous city kids keep on taking the prepare to class and run errands in their neighborhood without close supervision.

By giving them this opportunity, guardians are putting critical trust in their children, as well as in the entire group. “A lot of children over the world are independent,” Dixon watches. “In any case, the thing that I speculate Westerners are interested by [in Japan] is the feeling of trust and collaboration that happens, frequently implicit or spontaneous.”

日本近代文学研究

日本近代文学研究
舞姫 :外国語の影響を強く受けた、構成的な文章
 はじめに、幼い頃から父の導言、母の教えに育ったエリートな青年は日本の大学出て官長の期待を寄洋に官命の勉強のためにドイツに向かうことになり、船に乗りセイゴンに着くまでには、沢山目に見えたもの、耳に聞いたもの、頭に浮かんだもの一つ一つ全部書き込んで紀行文として新聞にも乗っていた。そんな思想を身につけて行動をし、毎日日記には思う狩りが山ほど書いていた。ところが、心がある人、思った人と出会い日記も書けなくなり、白紙のままになってしまった。これは街に踊ってるある女性に一目惚れしてしまい、学問の勉強の心が入れないし、イタリアのブリンチィシイ言ってもスイスの山色を見ても違うような感じたり、同級生に少しことばぐらいも触れなくなり自分のこと、心の悩みも耐えられなくなってしまった。こんなことをあっとゆうまに三年経ったが、洋行し官長の覚えことを考え、事務所を取り調べるになってること、勇気を失っていること、母親から離れていることそして日本から勉強の力を持ってヨロッパに飛び込んだ責任感が大きかったと思う。
     はじめての留学、いくらエリートといっても始めての場所、文化、言語、痴漢、システム慣れるのは相当の覚悟が必要ただったと思う。ドイツ、フランス語を学ぶことも大変だし、時間もかかって、そこから大学で政治学心かけて勉強ため情報書を様々政治家作って送り、取り調べし、心迷っても特科のあるべく頑張っても上手くいかないことが続き夢のまま3年経った。そこで、やっと父の導言、母の教えそして人の愛情に気づき官長の期待に応えられる学びに自ら自分が勉強してる法律が間違ってることに気づいた。もう25歳の大人が自由の大学の府延期にあたり、昨日の自分と本来の自分に自信の無い疑問があることが理解できるようになる。政治家になる法律家になるもふさわしいまことの自分が何を目指していたか、何を目指すべきかは分からなくなってしまったことがわかる。
  この作品での主人公太田太郎は法律の勉強のため洋行に留学したが、留学中にエリスと言うダンサーに恋し、同情し子供もできる。母親、自国から離れ、違う場所での法律の勉強行ったが、勉強も上手く行かないことに気づき、自分は法律家ではなくて、歴史や文学に向いていることに気づいたところ、日本から戻って来いと言うでわないと職場がなくなることのめいれいが届く、太田はこんな状態でエリスと子供を捨てて日本へ帰る決断をする。エリスは深刻な病気になり、頭がボケた状態になってしまった、が太田は少しお金お払って子供まで捨てて日本へ戻って来る決断にた。普通に考えたら人間としては、太田はひどい人だと思う。

この作品は、明治時代の日本語でわなく、擬古文、日本の古文をまねいた文体でも中身は、外国語例えば、漢文中国語、ドイツ語、英語と母国語古文日本語の影響を強く受けた、構成的な文章した作品である。そんな留学行くとき沢山勇気を持って沢山日記を書いていた太田太郎は日本へ帰ることには頭が白紙ままであった。そして、自分にめざめいて行った。この作品から、外国語の影響、外資、語彙力、新たな経験、友情、恋愛、人間関係、全てが取り上げているが、もっと言えば、主人公太田太郎として本来の自分が強く取り上げていることである。

在るものとは。

在る 
「働かざるもの食うべからず」
という価値観があります。
「何もしない人間には価値がない」
という考え方です。
「その通りだ」
と思われる方が
多いことでしょう。

「人の役に立たなかったら
生きている価値がない」

という考え方が
現代の道徳律の骨格に
 あるようです。

しかしこの考え方の
裏側の作用として、

役に立たない人間を
裁いてしまう

という結果を
生みだしていることも
事実です。

「今、自分は充分に
人の役には
立っていないのではないか」

とその裏面に
意識が向いたとき、

「このままではいけない」
という思いがわいてきます。

「自分にはもっと
人のために何か出来るのではないか」
と思考がまわり始める事でしょう。

そして、
そんな風に考えている自分を

なんだか嬉しく感じていることに
気付いて下さい。

これは思考を使って
自己を満たしている想念作業なのです。

自我はこれで満たされるわけです。

三次元の
人間意識の中にある人は、

こうして自己を満たすという
思考ゲームを続けています。

これが地球人類の
 これまでのゲームでした。

特定の価値観を握ると、
そこに満たされた思いと、

満たされなかった思いの
二極を体験することが出来ます。

満たされなかった思いを
満たしてやるというゲームです。

全ての価値観に
表と裏という二面性があるのだ
 ということを知って下さい。

どんな考え方であれ、
それを受け入れると、

そこから二極の世界へ
入っていくのです。

もちろん二極性の世界が
悪いと言っているわけでは
 ありません。

二極的思考に
 なれきっている我々は、

「これこれはこうです」
という話を納得すると、

その瞬間からそうでないものを
間違っている、
 正しくない、

異質のものとして
認識し始めます。

ニュートラルな世界へ
入っていくためには、

数学でいう
「逆は必ずしも真ならず」

という発想方法を
身につけて下さい。

その反対は
間違ったものでも、
 正しいものでもありません。

ただそうであるだけです。

「あの人はこんなことを
言っていたからおかしい」
という考えが浮かんだ瞬間に

「あ、これは二極思考だ」
と気付いていて下さい。

あなたの正しさに反するものが、
 間違っているというわけでは
 ないのです。

であるならば
「人の役に立っていない」

という状態も
別に問題ではありません。

「人の価値はその存在にある」
と伝えられました。

これまで人類は
 この存在の価値を

あまり認めようとは
 しませんでした。

それは存在を
当たり前と
受け止め続けてきたからです。

あって当たり前
と思えるものに
価値を見いだせなかったのは、

当然といえば当然でしょう。

健康な人が
健康であることに
喜びを発見できないのと同じです。

病気の人が
健康にフォーカスし始めると、

健康であること事態に
喜びを見い出すようになるように、

我々は単に
「在ること」事態に
 フォーカスし始めると、

ただ「在ること」に
至福を体験できるようになります。

そしてこの
「在ること」に意識を向け続けると、

その悦びの大きさに、

人はだんだん
圧倒されてくるように
 なってきます。

あまりに偉大すぎる
 その「存在」に

強烈なエクスタシーを
体験することでしょう。

自分が存在することの
至福を体験し始めた人は、

これまで自分の抱いていた
「無価値感」という概念が

いつの間にか
消滅してしまっていることに
気付くでしょう。

「自分は
 もっと人の役に立つべきだ」
とお思っている方は、

何か行動を始める前に、
 役に立ちたいという思いは
 どこからやって来ているのか、

その源に意識を向けてみて下さい。

「この思いは
 いったいどこからやって来るのか」
と内側に問いかけてみて下さい。

この尊い考え方も、
ひょっとして、
エゴの欲望を満たそうとする、

自己満足的活動で
 あったかもしれないと・・・。

自我が「良いこと」と
判断して取る行動は、

あくまでも純粋動機に基づく
行動ではありません。

全ての「良い」、「悪い」の
価値観を手放して委ねていると、

あなたの肉体を通して
存在の源から純粋な動機が
 わき上がってきます。

あなたの価値判断を
使うことなく
 それはやって来ます。

それが「大いなる一つ」の
活動欲求です。

その「大いなる一つ」の
欲求に従って行動していくとき、

あなたは世界一役立つ
人間そのものになっている
 ことでしょう。

そんな人が
「何かしないといけない」と、
 不安を感じることはありません。

そんな人は、
たとえ今何もしていなくても

「このままではいけない」
というエゴの脅迫に
 たじろぐこともありません。

存在の至福を
理解できる人であるからです。

そして自我を超越し、
ハイヤーセルフに委ねて
生活している人が、

忙しさを
体験することもありません。

全ては完全なゆとりの中で、

穏やかな環境の中で
生活が出来るように
 なってきます。

もしあなたが
忙しいと感じているとしたら、

それは時間を
焦っているということです。

もう一度全てを
手放し
委ねきりましょう。

あなたは
存在している事に
価値があります。

あなた一人が
 もし欠けたとしたら、

この宇宙は
 その瞬間消滅すると
伝えられました。

あなたの存在が
 この宇宙を支えています。

たとえそれが
寝たきりの障害者であったと
 してもです。

あなたは
 そんなかけがえのない一人です。

何かすることが
 あなたの役割ということでは
 ありません。

寝たきりの人は
寝たきりでいる事が
 その人の役割です。

看病をしたいという
 その人のために

自らその身を横たえ
奉仕しているわけです。

地球を救いたいと
活動している方は
 それが役割です。

そんな方々に奉仕するため、
 地球は病んだふりをして

人に奉仕される事を
許しています。

感ずるままに
地球救済活動をなさって下さい。

私は地球人類を
五次元世界へ誘うのだと、

途方もなく楽しいゲームに
夢中です。

感じるままに
 このゲームを堪能しています。

「自分は果たして
役に立っているのだろうか」

という疑問を
持つこともありません。

そんなことは
5%しか機能していない脳で
考えても

解りっこないと
悟っているからです。

人の思考は
全て表面意識に属しています。

表面意識は自我の領域です。

すなわち自分の思考とは、
 全て自我の思考であるわけです。

真に人の役に立ちたいのであれば、
もう自分の思考を
使わないことです。

この時あなたは
超人となります。

どうぞ自分の存在について
意識を向けてみて下さい。

積極的に、
そのことに時間を割いて下さい。

「何をすべきか」
と問いかける前に・・・。

存在とは何であるのか、

自分とは何であるのか、

人間とは何であるのか、

生きるとはどういうことなのか、

そしてあなたの頭で
絶対に考えないで下さい。

答えを頭で探さないで下さい。

答えは単なる結果です。

答えが来ると
人は満足を覚えますが、

そうすると
 もう問いかけることを
止めてしまいます。

答えを求めるという
活動を通して
人は神へと帰っていきます。

答えそのものに
意味があるわけではありません。

答えとは
三次元的結果にすぎません。

 問いかけて、

  問いかけて、

   問いかけて、

    問いかけて、

     問いかけます。

それこそが
積極的覚醒行為であるからです。

問いかけるという
 あなたの積極的な
 エネルギー操作によって、

あなたは一歩一歩
ハイヤーセルフに
接近していきます。

しかし私が
 この事をどんなに
強調してみたところで、

あなたは決して
 このことを実行しようとは
 しないでしょう。

そのことに
 それほど必要性を
感じないからです。

そこであなたの

ハイヤーセルフは考えます。

あなたの
最も強く望んでいるものが

うまくいかないという
結果を創ってみます。

これはうまくいきます。

必ず
「あれ、どうしたのだろう。

どうしてこんなことに
 なってしまったのだろう?」と、

自然に意識が
内側へ向いてきます。

これこそが
純粋な内側への
問いかけ作業です。

それがあなたの葛藤です。

葛藤が
 あなたの意識を高めることに
 なるゆえんです。

あなたは「存在」です。

あなたの為す行為によって
産み出される付加価値は、

あなたの存在に
付け足されたほんの些細な
価値にすぎません。

あなたの
存在の価値の大きさを
 たとえていうなら、

それは地球大かもしれません。

もしあなたの存在価値が
地球の大きさだと仮定してみるならば、

あなたが生涯頑張って築き上げた
功績という付加価値の大きさは、

ちょうど
 あなたの住んでいる家一軒分に
 すぎないでしょう。

「何かすべきだ」と思うその前に、
あなたがするべき事があります。

それはあなたの内に
初めから眠っている

自分の存在価値に
目覚める事です。

とても簡単なことです。

それは
初めからあるのですから。

ただ
「何かしなければ価値がない」と
信じている人に、

この内なる存在価値は
発見できないでしょう。

ないと思っているモノは
見えないからです。

それはあります。

間違いなくあります。

あなたが
 これまで永い永い間、

外に向けていた
 あなたの意識を、

内側に向けることによって
 それは簡単に見えてきます。

初めからあった
自分の膨大な存在価値の
大きさに、
あなたは

目が眩んでしまうかもしれません。

「ネパールと仙台が一つに!ネパールフェスティバル2025開会式の感動」

    🌸第一目ネパールフェスティバル仙台2025開催されました🌸 ~多文化が響き合う、希望と友情の幕開け~  2025年6月7日、宮城県仙台市の中心にある元鍛冶丁公園市民広場で、「ネパールフェスティバル仙台2025」の開会式が華やかに行われました。初夏の爽やかな空気の中、多...